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新年おめでとうございます。皆さまにとりまして
実り多い年になりますようお祈り致します。

さて夢というタイトルですが、初夢に何の夢を見たと
いうお話ではありません。職場で、年初に初夢の
話題が出たのですが、そう言えば、昔はよく初夢の
内容を話したり聞いたりしたものだと思い出しました。
富士山の夢を見たらいいことがあるとか、そのために
枕の下に富士山の絵を置いて寝るとかいう話も
ありました。

笑い話はさておき、我々が眠っている時に見る夢は
マインドが過去の印象を投影したものですが、
日浦先生から夢の内容自体は重要ではなく、夢の
内容がいかに矛盾に満ちているかを知り、またその
夢を見ている自分は、目が覚めた時の自分と同一
人物であることを知りなさいと教わりました。

目が覚めた時は、理性的に振舞っている自分が
夢の中ではハチャメチャな行動をしたり、ありえない
状況が夢の中では展開していることから、自分の
マインドがいかに空想的でいい加減なもので
あるかに気づくことが大事だとのことです。

また眠りから目が覚めたというのは、本性の自己が
目覚めたのではなく、なりすましの自分(自我)が
目覚めたのだというのです。このことは、我々普通の
人間には理解しにくいところです。

オギャーと生まれてこのかた、現在まで、身体と
名前を与えられ、親兄弟、友人、周囲の環境の中で
このなりすましの自分(自我)に親しんできましたので
それが自分だという自然の感覚が身についている
からです。

しかし、サハスラーラ新宿のセミナーで自己の本性が
あることを教わり、目が覚めたと思っているこの現実
世界も夢であると教わりましたので、この頃は自分の
回りに展開する世界も、なりすましの自分(自我)が、
リアルな物質感覚を伴った夢を見ているのだと思う
ようにしています。

なりすましの自分(自我)には、本性の自己について
全く想像もできませんが、真実の眠り(サマーディ)が
あることを信じて、自我がこれまでの習性で送り出して
くる想念を無視していく修練をひたすら続けていこうと
思います。そして最終的に、このなりすましの自分
(自我)を消滅させていくことを決意します。




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11月セミナー

《下記は、転載、流用を禁じます》

「何もしなくてよい」という教えを実践したわけでは
ありませんが、ブログの記事をだいぶお休みして
しまいました。

日浦先生に第二期11月セミナー受講を御承諾頂き
ましたので、先々週の土曜日に久しぶりにヒーリング
セミナーに参加致しました。

想念を無視するということは、第一期のセミナーでも
耳にタコができるぐらい拝聴しましたが、なかなか
その実践が難しく、気がついたら日常の雑踏の中で
いつもの雑念にまみれていることに愕然とします。

日浦先生は、ヴィヴェーカーナンダさんの書いた
ラージャ・ヨーガという本の中の
「思いがおこるやいなや、それを取り除き、
いかなる思いがマインドに入ることも許さないで、
マインドを完全な真空状態にする・・・本当に
これをすることができた時に、まさにその瞬間に
我々は解脱を成し遂げるであろう。」という一節を
引用され、マインドが真空状態になるとはどういう
ことなのか、また、そうなると何が起こるのかに
ついて解説して下さいました。

ヴィヴェーカーナンダさんも、その本の中で
それをするのは大変難しいと言っていますが、
日浦先生は、想念を無くすことが困難であることを
体験することはとても意味があることだと述べられ
ました。

というのは、その困難を体験することで、近い将来、
自己の魂が解放された時に、同じ様にマーヤの
世界で想念に振り回されて苦しんでいる人達を
見下すのではなく、手を差し伸べようという思いを
持って欲しいからだと熱く話され、胸にジーンと
来るものがありました。

セミナーでは、第二期の受講生で、長年宗教で
遠回りをして苦しまれた方の真摯な一連の質問に、
日浦先生がわかりやすく解説され、質問禁止令を
出されていた我々一期生(笑)は皆、質問をされた
受講生に感謝致しました。

中々全部のセミナーに参加できないのが残念ですが、
できるだけ多く参加する方がいいと実感したセミナー
でした。

詳しいセミナーの内容は、ブログでは書けませんので、
このぐらいにしますが、関心をお持ちの皆さんは、
是非受講されることをお勧めいたします。


ストレス

昨今、過労死が社会的問題になっており、国も
職場等におけるストレス対策への取り組みを法的に
整備してきています。

現代の日本では戦争もありませんし、物質的に大変
豊かになっているのに、年間自殺者数も、ひと頃の
3万人まではいかないようですが、まだ2万人を
超えているそうです。

ストレスは、いつの時代にもあるわけですが、自然
災害や病気、事故、貧困を除けば、現代の日本に
おいてはその原因の多くは人間関係によるものが
ほとんどと言っていいのではないかと思われます。

なぜ人間関係のストレスが生じるのかといいますと、
個人個人が、自我、エゴ(美しい言葉では個人性
アイデンティティ)を持っているからです。

中学校、高等学校の現代国語の授業では、自我の
めざめは、自己の確立に必要であり、個人の成長の
正常な過程であると教わりました。

すなわち個人の自我・エゴは、この社会において
あれが好き、これをしたいという欲望を持つわけで
あり、他人に迷惑をかけない限り、欲望は生きて
いくために必要だと思って来ました。でもこのことが、
個人間の葛藤を産みだしているのです。

日浦先生によりますと、社会において人間関係は
エゴとエゴのぶつかり合いであり、完全に個人と
個人が合うはずはないので、人間関係はうまくいって
もうけものぐらいに考えていた方がいいとのことです。

それをお聴きしてから、気持ち(マインド)がとても
楽になりました。これまでは、他人と意見が衝突したり
自分の思い通りにならないとイライラしたり、他人の
顔色を伺うことが多かったからです。

相手と自分のエゴ、マインドも本当の自己ではなく、
正当性もないのですから、他人とのことで悩むのは
エネルギーのロス以外の何ものでもなく馬鹿らしいと
いうことになります。

もちろん、他人との付き合いがどうでもいいという
意味ではありません。道徳的常識的に節度のある
付き合いは必要でしょうが、マインドに重荷を詰め込む
ような想念(期待や憶測、妄想など)はやめようという
ことです。

エゴをなくすことが最上でしょうが、それがすぐにでき
なくても、自己の本性があるという知識を持つことが
とりあえずのストレス対策になると言えましょうか。


誕生日

《下記は、転載、流用を禁じます》

先日のことですが、子供の誕生日ということで
外で食事をすることになりました。小さい頃は
プレゼントを買ってあげたりしたのですが、
さすがにそれはなくて、離れて住んでいるので
この頃は一緒に食事をしに行って、近況を聞いたり
するのが定番になりました。

日浦先生によりますと、誕生というのは、自我および
肉体の誕生であって、自己の本性(真我)は生まれた
ことも死んだこともないそうです。

誕生の瞬間に「オギャー」と泣くのは、肉体をまとった
感覚があまりにも不自由なので泣いているのだ
そうで生まれて来た喜びの泣き声ではないそうです。
ブッダが説いた「生まれて来る苦しみ」は誕生の
最初からあるのですね。

先生によりますと、喜んで生まれてくる魂も少ない
ながらいるそうですが、自分の場合を想像して
みますと、絶対に 「こんなはずではなかった」と
泣いたのだろうと思います。

でもだんだんこの世の感覚に慣らされてきて、
魂は、自分は肉体だ、この世は楽しいと欺かれて
しまうのだそうです。

それからすると、世の中の善意の風習にケチを
つけるつもりはありませんが、誕生祝いをするという
ことはどういうことなのだろうかと考えてしまいます。
自我(エゴ)の誕生を祝うということだからです。

自我(エゴ)を消滅して、自己の本性(真我)を
知覚することが、本来すべての人間の目標ですから
あまりハッピーバースデーと言って喜んでもおれない
のではないかと思いますが、この転生が、真我
知覚に至るものであればそれは、ほんとのハッピー
バースデーになりましょうか。

まあ、今述べたこともマインド、自我のつぶやき
ですから、こだわることなく、世の風習は単なる
行事として、それ以上反応しないようにしたいと
思います。


反応しないこと

《下記は、転載、流用を禁じます》

この夏の暑さに、考えることがおっくうになり
マインドが働かなくなった分、いいことだと思うの
ですが(笑)、しばらくブログをお休みしてました。

自分の本性は肉体でないということは、確信して
いましたが、日浦先生のセミナーを受けて、
マインド(心)も本当の自分ではなく、自己の
本性を知覚するにはマインドを消滅、すなわち
想念を消滅しなければならないと教わったのが
衝撃だったことは以前に述べました。

その知識を得ても、日常の世界とのかかわりの
なかで、これまでの習慣といいますか、惰性と
いいますか、肉体やマインドに翻弄されることも
多々あります。その度に、紫蓮さんのお言葉を
思い出すようにしています。

それは、お茶会の席だったと記憶していますが、
受講生から日々の生活で留意することについての
質問を受けた際に、紫蓮さんが、外界の出来事に
反応しないことです、と述べておられたことです。

何か、例えばいやなことや怖いことが起こっても、
ただ、あぁ起こったのねと、それだけで済ませること、
それ以外の大変だとか、どうしようとかいった諸々の
ことを何も考えないようにして、一事が万事その
ようにしていくと、ついには何も起こらなくなって
いきますと言っておられました。

私は、すべてにそれができてはいませんが、何か
マインドが動揺するようなことが起こった場合、
「これは、自己の本性からの思いだろうか」と
問いかけると、ほとんどマインド、エゴから出た
ものであることがわかります。そうすると
「じゃ、どうでもいいじゃないか」といちいち反応
しないて済むことがわかります。

大きな問題に対して直ぐにそういう対応ができ
なければ、それはとりあえず置いといて、小さな
ことから始めるというのは一つの方法だそうです。

日々の生活の中で、小さなことでも、自己の本性
から出たものでないものを、一つずつつぶしていく
作業を、ごまかしなく続けていけば、受講生は、
日浦先生によって、自己の本性へ向かう杭(くい)が
打たれているので、必ず到達できますと述べて
おられました。

これは受講生にとって大変な勇気と励ましになると
思います。

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